アレクサンデル・セウェルス

マルクス・アウレリウス・セウェルス・アレクサンデル・アウグストゥスラテン語: Marcus Aurelius Severus Alexander Augustus208年10月1日 - 235年3月18日)は、第24代ローマ皇帝で、セウェルス朝の皇帝としては5人目(セプティミウス・セウェルス、カラカラ、ゲタ、ヘリオガバルス)となる。彼の死をもってセウェルス朝は50年程の歴史に幕を下ろし、軍人皇帝時代とも呼ばれる「3世紀の危機」が始まった。

アレクサンデルは先帝ヘリオガバルスの従弟(母同士が姉妹)として生まれた。実権を握る祖母ユリア・マエサに支持を失ったヘリオガバルス帝の「代わり」として担ぎ出され、ヘリオガバルスの養子として台頭した[2]。一時は危険視したヘリオガバルスに幽閉されるが、これが近衛隊の反乱を引き起こしてヘリオガバルスは処刑された。

即位したアレクサンデル帝の治世は、東方で勢力を増しつつあったササン朝ペルシャ帝国の脅威に晒されつつも、軍事行動を控えて平和路線をとっていた。しかし、ゲルマニア方面での軍事作戦に消極的な態度を繰り返したことで軍の不興を買い、最終的に軍によって殺害された。

属州フェニキアのアルカ・カエサリア市でマルクス・ユリウス・ゲシウス・マルキアヌスとユリア・アウィタの子として生まれ、マルクス・ユリウス・ゲッシウス・バッシアヌス・アレクシアヌス(Marcus Julius Gessius Bassianus Alexianus)と名付けられた。父マルキアヌスは属州シリアの政務代行官(プロマギストラテス)を務める貴族であった。母アウィタはセウェルス朝の外戚バッシアヌス家の出身で、ヘリオガバルス帝の母ソエミアスの妹であった。従ってヘリオガバルス帝と同じくカラカラ帝やゲタ帝、セウェルス帝といった同王朝の皇帝達の血縁者という立場にあった。

221年、バッシアヌス家の女当主である祖母ユリア・マエサは暴政を続けるヘリオガバルス帝とソエミアスを見切り、もう一人の孫を皇帝にすべくアレクサンデルをヘリオガバルスの養子とした。翌年、ヘリオガバルスとソエミアスは近衛隊に処刑され、その遺体は市中を引き回された挙句にティベレ川に捨てられた[10]。

即位したバッシウスはカエサルマルクス・アウレリウス・セウェルス・アレクサンデル・アウグストゥス(Caesar Marcus Aurelius Severus Alexander Augustu)に改名した。

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